2014/3/11 住まいとはなんぞやを思い出す

東北大震災の被害に合われた方、またそのご遺族の方に冥福を祈ります。

キノマチ不動産のサイトを隅々まで!ご覧頂いた方は、震災が弊社の設立のキッカケの一つとご理解頂けると思います。

幸いその瞬間生き残ったあとどうするべきかは、ある程度自己保身をせざるを得ない、

住まいとはその保身の側面も担っているのだと実感した次第です。

 

震災の時は、私は東京の田園調布に居ました。木材を納品した現場に寄っていたのです。

そして地震、かなりの揺れでこれはひどいなあと思いましたが、何せ状況を把握するもないので、

とりあえず駅まで行きましたが、当然不通。しばらく待ちました。

ただ、周囲の噂やどうやら動く可能性が低そうだとの判断から、渋谷行きのバスを見つけ、それに並びました。

これが大正解だったと今では思います。おそらくバスもその後は2時間待ちや3時間待ち等になっていたと思います。

結局渋谷まで1時間以上掛かり、渋谷から当時のオフィスである初台まではバスもあったのですが、渋谷駅のバス待ちの大量の人を見て、

これは無理だと悟り歩いて帰社しました。これが約40分。

会社についたのはすでに6時半くらいだったと記憶しています。

さて、そこで事情を幾つか聞き、上司に自転車を借りました。

初台から江東区まで自転車で。

たくさんの帰宅難民とすれ違い、霞ヶ関や新橋当たりを通ったあの異常な雰囲気を今でも忘れられません。

帰宅したのは8時過ぎくらいだったかなと。めちゃくちゃ全力で漕ぎましたので。

帰宅すると、テレビ、本棚、PCと全て倒れて、妻と子供が奥で寄せあっていたのです。

数度の余震でぐったりしていました。

一通り片付けネットを見ると(テレビは壊れたので)どうも東北は壊滅らしいと。

その日は寝ることができなかったですね、次の日からは原発の恐怖と富士山の爆発も心配だったのを思い出します。

自分達は恵まれていたのか、最寄りのArioは乳幼児に優先権を発動していましたので、

おむつや水の確保は容易でした。また友人たちからの連絡網や親の援助もあって苦労はしなかったですね。

でもこれが本当の被災地だったらどうだったのだろうと、戸建てで全てのライフラインがストップしたら?

「最低限自分達で守る家」で庭の必要性はここからきています。

 

3.11は私にとって「住まいとはなんぞや」を考えさせられる日でもあります。